「無印良品の家」に会いに。本ダウンロード
「無印良品の家」に会いに。
09/18/2020 12:29:46, 本, 原 研哉
「無印良品の家」に会いに。本ダウンロード
によって 原 研哉
4.1 5つ星のうち4 人の読者
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内容紹介無印良品は「木の家」「窓の家」「朝の家」の3タイプの家を販売している。住む人の工夫によってさまざまな暮らしのヴァリエーションがある。その暮らしぶりを伝えるために、無印良品では「家に会いに。」と題したリーフレットを発行してきた。 本書はその10回分をまとめ、この企画のコンセプチャーでもあるデザイナーの原研哉が新たに文章を寄せたもの。「無印良品の家」を訪ねたのは、以下の10人の目利きたち。 小泉誠(家具デザイナー)「二つの暮らしを楽しむ家」 松浦弥太郎(『暮しの手帖』編集長)「育つ家」 平松洋子(エッセイスト)「季節を眺める家」 柴田文江(プロダクトデザイナー)「大きな器の家」 谷尻誠(建築家)「自由な家」 伊藤まさこ(スタイリスト)「健やかな家」 岡部憲明(建築家)「光景の家」 亀井誠一(『カーサ ブルータス』元編集長)「帰る家」 長谷川豪(建築家)「身軽な家」 野村友里(フードディレクター)「桜の家」著者について編者 原 研哉(はら・けんや) デザイナー。1958年生まれ。「もの」のデザインと同様に「こと」のデザインを重視して活動中。2002年に無印良品のアドバイザリーボードのメンバーとなり、アートディレクションを開始する。長野オリンピックの開・閉会式プログラムや2005年愛知万博の公式ポスターを制作するなど日本の文化に深く根ざした仕事も多い。展覧会の企画も多く手掛け、「RE DESIGN」「HAPTIC」では独自の視点からデザインの新たな課題を社会に提示し、「SENSEWARE」「JAPAN CAR」では産業の潜在力を可視化し、世界へと発信していくなど、活躍の場を広げている。近年は「観光」「家」「新素材」「移動」などから、新たな産業ヴィジョンの構想に注力している。著書『デザインのデザイン』『日本のデザイン』(共に岩波書店)や『白』(中央公論新社)はアジア各国語版をはじめ多言語に翻訳されている。著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)原/研哉 デザイナー。1958年生まれ。「もの」のデザインと同様に「こと」のデザインを重視して活動中。2002年に無印良品のアドバイザリーボードのメンバーとなり、アートディレクションを開始する。長野オリンピックの開・閉会式プログラムや、2005年愛知万博の公式ポスターを制作するなど日本の文化に深く根ざした仕事も多い。展覧会の企画も多く手がけ、「RE DESIGN」「HAPTIC」では独自の視点からデザインの新たな課題を社会に提示し、「SENSEWARE」「JAPAN CAR」では産業の潜在力を可視化し、世界へと発信していくなど、活躍の場を広げている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
以下は、「無印良品の家」に会いに。に関する最も有用なレビューの一部です。 この本を購入する/読むことを決定する前にこれを検討することができます。
2013年初版。TVのビフォ⇒アフターなどを見ていると、プロのデザインの見た目に素人は先ず吃驚してしまいます。そして、プロはやはり凄い!と思ってしまうのですが、それは所詮他人の描いた絵であることを忘れてはいけません。プロの建築家と価値観が一緒であれば、住んでも上手く行くとは思いますが、5年後、10年後はどうでしょうか?確かに面白い番組ですし、アレだけ時間短縮して家作りを見させられると家作りの面白さを堪能した気にもなります。この本はインテリアや図面や実際の出来上がり箇所を見せる為の写真は少なく、建築家、建築関係雑誌の編集者等が無印良品の家の施主さんを訪ねてインタビューしています。圧倒的に文字です。施主さん夫々のライフスタイルが家そのものに関する情報を上回っています。無印良品の家を建てようと思う人達は、自分のライフスタイル・癖を家の見た目よりもはるかに優先しているのです。この本を読んで先ず感じたのは、施主さん達の価値観・美意識が普通の人に比べ、とてもしっかりして居ることでした。通常の日本建築と異なり、大きな嵌め殺しの窓、外からの視線を遮るものは、雨戸で無くてロールカーテンによる目隠し等、余分なものを出来る限り削っています。施主さんに共通するのはモノを持たない、自然素材を使う、と言うコンセプトがしっかりしている事です。TV通販などで「あったら便利」グッズに直ぐ飛び付く人にはこの家を維持する事に向いていないでしょう。私も家を建てた時に無印に似た箱型の家を建てましたが、屋根は普通の屋根にしました。親戚には「凹凸の無い、味気ない家」と評価されてしまいました。周りに家が建ち始めると、確かに見た目は大分違います。当初の理想であった田舎暮らしで無垢の木を使いたい、と言う希望も予算の上であっけなく新建材に代わりました。今、27年前に建て,ローンも終わったその終の棲家に引越し準備をしていますが、東京の2DKのアパートはモノに溢れかえっています。その家具も衣類も95%は捨てる覚悟で居ます。しかし、モノは捨てられても布地や毛糸が捨てられない、因果な性格です。本書にも出て来る様に、『人間にはモノに囲まれた生活とモノの無いシンプルな暮らし』の一見相反する矛盾が両方とも必要、と言う旨が出てきますが、正にその通りです。自分の余生は地球でのキャンプ生活と自身に言聞かせていますが、モノの見た目や思い入れに振り回され、時にコンセプトを忘れた自分に呆れています。ですから、家族構成員の数の増減や成長の過程での変化、と言ったものが、生活や物品の数に大きく影響する事は避けられないでしょう。収納家具を持つとあっという間に一杯になる人はこの手の家は向かないかも知れませんし、家族と雖も必ずしも価値観は一緒では無い事を母と60数年暮らして感じました。無垢の木は確かに素晴らしいものですが、木材となってからも動き続けますから、メインテナンスは余分に掛かります。接着剤などがカラダに不都合でなければ集成材や合板は狂いが来難い良さも持っています。何れにせよ、家は建てたら永遠ではなく、常に手を入れ続けるのが家なのです。家を建てた時はそれを知らずに建てましたが、私の様な性格には(憧れは別として)建材が合っていたかも知れません。衣類を掛けるパイプハンガーは便利です。しかし、私は手が届く高さのパイプですとホイッ!と衣類をパイプに置いてしまいますので、見た目が悪くなりますし、その結果、自分の気分も良くありません。私には高さ調節の出来るパイプハンガーは向いていない、と言うのが私の出した結論です。色々な点で未だ未だ自分のコンセプトが固まっていないのを感じます。自作の小さなダイニングテーブルを作ろうと思っていますが、無垢の天板も良い、でも自分の日常の食器を入れる引き出しも付けたい、とちぐはぐです。色々な建築物を沢山見て感じて、建物ではなく、自分を見極める事が家作りではないでしょうか。この本を読んでそんな事を再認識しました。
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